いち早く薬を患者さんに届けたい
その気持ちを忘れずに日々働いています

N. A. 研究開発本部クリニカルデベロップメント部門オンコロジー領域部 Japan Program Lead

2024/02/15     

家族の闘病経験を機に、製薬業界を志す。新規性の高いユニークな医薬品を世に送り続ける開発職のリーダーを担うその姿を、自身は意外なことに「失敗だらけ」と笑うが、新しいことに挑戦し続けることで着実に経験を積み重ねている。

新卒からブリストル マイヤーズ スクイブ(BMS)で開発職一筋です

Aは大学院を修了後、BMSに入社。約18年にわたり、臨床開発部やクリニカルデベロップメント部門などで、製品の試験や開発戦略の立案・実行を主導してきた。製薬会社を目指したのは、高校一年生のころに家族が薬の副作用で亡くなったことがきっかけだった。

「その当時は、ショックと環境の変化で、毎日が必死で記憶がないほどでした。少し落ち着いてきたころに、『そもそも薬って何だろう』、『薬の副作用で亡くなる人を減らせないか』と考えるようになりました」。

元々、化学系が得意だったこともあり、大学は薬学部を進学先として選ぶことにした。就職先には薬剤師やMRも考えられたが、医薬品開発に興味を持ち、BMSの開発職として働き始めた。

「開発職としての採用は人数が少ないので、もちろん同業他社も受けましたが、その中でBMSはフレンドリーで、さらにその当時でも女性の採用に積極的という印象を受けました。こういう会社で働きたいと気持ちが固まり、その後、幸いにもご縁があり入社することができました。外資系の製薬会社というと、転職の多いイメージがあるかもしれませんが、開発職の同期は現在も在籍している人が多くBMSは社員を大切にする会社だと思っています」。

当時のBMSの日本法人は500名程度で、厳しい上下関係もなく、Aが最初に感じた通りのフレンドリーな社風だったそうだ。

「もちろん、仕事は簡単なものではありませんし、そこは厳しく指導を受けました。厳しいというよりも、仕事の内容的に細かいところはとことん突き詰めていけないということを教えてもらったという感じでしょうか。困ったときには必ず助けてくれるので、むしろ優しい職場だと思っています。私は、特に人に恵まれたと感じていて、目標にできる人、将来はこういう人になりたいと思える先輩や上司がいたので、将来の自分の姿をイメージしやすかったとこともよかったです」。

海外と時差なく薬を届けることに
使命感を感じています

BMSが多くの開発品を有していることはとても魅力的だと言う。開発品が多いだけではなく、開発を行っている疾患領域が多岐にわたっていることから、主力であるオンコロジー領域においてBMSの医薬品のプレゼンスが高さに甘んじることなく、次々と新しい医薬品の開発が行われている。

「会社として、活発に新薬の開発に取り組む姿勢もとても魅力的でした。BMSにいれば、開発職としていろいろな経験が積めるのではないかと考えたのです」。

現在、Aはいくつかの医薬品の開発チームのリーダーとして、その医薬品の開発戦略全般を実行していく業務に携わっている。

「開発された医薬品を次にかかわる部署に適切にバトンを渡すことも私の仕事です。具体的には、コマーシャル部門やメディカル部門、安全性部門等です。医薬品は承認されたら終わりというわけではありません。基礎研究・非臨床試験が行われた後に、臨床試験でデータを得て、リスクとベネフィットを明らかになってから薬の承認が行われます。しかしながら、実際に医療現場で患者さんに投与されてから得られる情報も多数あり、現場の医師の方からのフィードバックは私たちにとってとても貴重です。承認までに得られた情報を承認後に関わる部署の人にも適切に繋げていくとともに、承認後に得られた情報を次の医薬品の開発につなげていくことも大切です」。

20年ほど前までは、海外では承認されている医薬品が日本では未承認のため使用できないというドラッグラグの問題があった。現在は状況が変わりつつあり、グローバルが開発したものを日本でもいち早く承認を取るために、日本での戦略を考えることもAの仕事の一部だ。

「最近の仕事では、悪性胸膜中皮腫に対する医薬品開発の取り組みがある。治療薬が限られる病気ですが、臨床試験の結果から新たな治療の選択肢になり得ることが明らかになりました。そこで日本の患者さんにも使えるように、早期に承認を取得する仕事に携わりました。世界に遅れることなく、日本の患者さんにも治療オプションをタイムリーに提供できたことは嬉しかったです。最近では、アメリカやヨーロッパと時差なく医薬品の承認申請が行われることが増えています」。

さらに、近年では日本が主体となって医薬品の開発を行うことも増えている。日本独自のプログラムがあり、日本からグローバルに提案して日本独自の医薬品開発をするという試みも行われている。

患者さんやそのご家族に貢献したい
それが私の原動力です

順調にキャリアを積み重ねている印象のAだが、入社後は失敗の連続で、よく周囲の人に怒られていたそうだ。

「最初に担当した医薬品の開発のときは、試験が終わり、承認申請の準備をしていましたが、データが足りないということで承認申請には至りませんでした。そのときはどうしたらいいのかわからずもがき苦しみました。その後、いろいろな経緯を経て最終的には日本でも承認されたのですが、そのときほど周囲の方々のサポートがないと仕事はできないのだなと実感したことはありません。それ以外にも医師の方から私の作った『書類がわかりにくい』とご指摘を受けたこともあります。いろいろと失敗をしてきましたが、そうした体験の積み重ねで、今の私がいるのだと思います」。

医薬品の開発に欠かせないもののひとつに、患者さんに参加いただく治験がある。治験へ患者さんに参加していただくためには、病院や医師、治験コーディネーターの存在が欠かせない。

「治験に関わっている関係者の方々には、いつも感謝しています。いくら私たちが治験を実施したとしても、そうした方々の協力がなくては治験が成り立ちません。もちろん、患者さんご本人とその家族の方もいろいろと考えて治験への参加を決意されていると思うので、日々感謝を持ちながら仕事をしています。テクノロジーは日々進化していますが、医薬品は人が使うものという点は変わりません。最近は、患者さんとのワークショップなどが行われ、患者さんのご意見を取り入れていくという試みもあります。患者さんの病気が治って健康になれば、患者さんの家族のご負担が減るかもしれません。働き始めてからずっと、患者さんや患者さんのご家族のために貢献していきたいと考えています。それが、私にとっての『Patient Centricity(患者さん中心)』です」。