「この経験を決して忘れません」

C2C4Cに初参加のライダー、がん患者さんを支援するため世界各地で限界に挑む

2023/12/11     
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アラン・ステレス・コレスは、数日後に初めてC2C4Cに参加します。チャリティバイク(自転車)・ライドイベントC2C4Cは、ブリストル マイヤーズ スクイブが2014年から行っているイベントで、がん研究に携わる非営利団体のために、これまで1600万ドル以上の寄付金を集めてきました。   

アランは準備万端です。  

社員は4つのチームに分かれて年1回のイベントに参加し、限界に挑戦します。アランが参加する南米チームは、4チームの中で最後に走行します。ヨーロッパ、日本、米国のチームは、すでにライドを終えています。   

C2C4Cの最初の2つのCは、開催地に応じて海岸から海岸へ(coast to coast)、国から国へ(country to country)、または大陸から大陸へ(continent to continent)を意味します。3つ目のCは、がん(cancer)を意味します。C2C4Cは患者さんのためのイベントであり、がん研究の資金を調達することを目指します。  

米国のオンコロジー事業部門の社員たちが、がん患者さんのためにもっと何かしたいと考えたことがきっかけで、2014年にライドイベントが始まりました。その後、2016年にヨーロッパ、2021年に日本、2022年に南米に広がりました。今年のライドには、30カ国以上から数百人の社員が参加します。

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世界で開催されるC2C4Cイベントの今年最後のライドに参加するアラン・セレス・コレス。母や叔母を含めて、がん患者さんを想いながら走りたいと考えています。

アルゼンチンで南米薬事申請部門のラベリングプロジェクトマネージャーを務めるアラン・セレス・コレスは、脳腫瘍と診断を受けて間もなく亡くなった母、そして、20年以上乳がんと闘った叔母のオルテンシアのために走ります。 

「叔母はいつも人生を楽しんでいました。94歳まで精一杯生きました」 と彼は語ります。  

初めて参加するライダーが皆そうであるように、アランもどうなるか予想がつかず、応援してくれる人たちをがっかりさせたくないと思っています。それでも、勇気あるがん患者さん達の姿が、世界中のライダーを奮い立たせてくれます。アランは、彼らのために走れることを名誉に思っています。  

ライダーのほとんどが初参加 

今年参加する350人近くの社員のほとんどが、初めて出場します。アスリートもいれば、自称「週末ライダー」もいます。

今年は、初めてハンドサイクルで参加するライダーもいます。あるチームは、有名なスーパーヒーローのフィギュアに勇気をもらい、スタートからゴールまで、全行程をこのフィギュアと一緒に走り抜けました。 

数カ月におよぶトレーニングに、音を上げそうになることもありました。難所に差しかかり、ゴールまでたどり着けるか不安になったとき、多くの社員が、がん患者さんのことを考えたと語っています。自分の知人や、日々の業務を通じてサポートしているがん患者さんは、毎日これよりはるかに過酷な闘いをしている。そう思うと、誰もがあきらめずにペダルを踏み続けました。

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ガールフレンドのために参加したヨハン・ダリン。チームメートから、それぞれのがんに対する思いを打ち明けられて胸を揺さぶられたと言います。「チームの結束が強まりました」 と彼は語りました。

ロードバイクの乗り方を覚える

ヨハン・ダリンは、BMSに入社して2週間が経った2022年10月にC2C4Cの存在を知りました。「みんな、目を輝かせてライドの話をしていたんです」スウェーデンとデンマークのコーポレート・アフェアーズ・リードを務めるダリンは、語りました。

彼も書類に記入し、これで参加できると思っていました。けれどすぐに、あれは単なる応募書類で選考はこれからだと知らされました。最終的に、彼はライダーに選ばれました。まずは、ロードバイクの乗り方を覚える必要がありました。

信号や横断歩道で待つ間、シューズとペダルを固定する金具をはずしたりつけ直したりするのに手間取りました。「最初は何回か転倒しましたよ」ダリンは、笑いながらそう振り返りました(ライダーは、路上に出たりグループ走行する前に安全講習会に参加します)。

ひとつ前のルートを走ったチームと対面した際、ダリンは、自分たちとの違いに気づきました。「みんなへとへとだったけれど、ホッとした様子で楽しそうでした。対してこちらは、この先の冒険を思ってガチガチに緊張していました」

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マイク・フォスターは、名誉ある特別車で1日走れるメンバーに選ばれました。これは米国チームのしきたりです。コーチ陣が、特別な配色のバイクに乗るメンバーを指名します。

がん患者さんも参加、人を助けるために、

シニアテリトリーマネージャーのマイク・フォスターは、がん患者さんがたどる道筋を理解しています。彼自身もがんを抱えているからです。

今年のC2C4Cに応募した時点では、2年近く寛解状態にありました。  

ライダーに選ばれてすぐ、再発が分かりました。けれど彼は、ミズーリ州セントルイスからインディアナ州インディアナポリスまでの225マイルを、9月末に走破しようと決めました。

今年に入ってから、3人の友人が乳がんや白血病と診断されました。彼らを含め、自分と同じようにがんを抱える患者さんを応援したかったのです。彼が子どもの頃に肺がんで命を落とした、祖母のために走りたいという気持ちもありました。

ライダーに選ばれてからの練習期間は、あっという間でした。「まだ5カ月あると思っていたのに、気づくと本番間近でした。長い間楽しみにしていたのに、終わってしまった」と彼は語りました。  

コーチからは、チームメンバー、なかでも初参加のライダーに対して、参加中は特別な時間を思う存分味わうようにと助言があったそうです。例えば、バイクを停めて夜を過ごしたり、仲間のライダーとイベント終了後も続く絆を深めたり――。フォスターは、このアドバイスに従いました。

「この経験を決して忘れないでしょう」 彼は、そうもらしました。

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下半身麻痺があるサマンサ・グッドは、今年、大会史上初めてハンドサイクルで出場し、C2C4Cの歴史を作りました。

ハンドサイクルで歴史を作る

サマンサ・グッドは、長距離走を得意とするアスリートとして過ごしてきました。2019年1月、脊髄損傷により下半身が麻痺しました。それでも彼女は、挑戦することをあきらめていません。  

グッドは、このイベント初となるハンドサイクルでの参加者になりました。「このライドをインクルーシブなイベントにできる、障害に関係なく参加できると示したかったんです」グローバルアライアンス担当バイスプレジデントのグッドは、そう語りました。   

前立腺がんの義父をはじめ、がんを抱えている友人や家族の力になりたいという思いもありました。「義父は余命7年と言われていましたが、いま8年目を迎えています」  

レース初日、チームの最後尾を走っていたグッドは、皆についていくのに苦労したと言います。ハンドサイクルは座席が地面に近い位置にあり、マシン自体の重量もあるため、他のライダーと同じように、前を走るバイクにぴったりついて空気抵抗を減らすことができません。最後の2日間、コーチの指示で彼女はグループの先頭を走ることになりました。これが功を奏し、チームの一員として中西部を横断することができました。 

最終日は全員、心身ともに限界でしたが、ライドは爽快でした。チームに強い連帯感が生まれました。子どもたちに「ママのことがすごく誇らしいよ」と言われて、思わず大泣きしたそうです。

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マリレナ・オルティズは、C2C4Cを走り終えたとき「色々な感情がごちゃ混ぜになった」と言います。ゴール地点では、両親が待っているというサプライズまで用意されていました。

大切な人の思い出を胸に

マリレナ・オルティズは、健康維持のため普段から運動をしています。けれど、C2C4Cはこれまでにない挑戦だとすぐに気づきました。

「1日に70マイルも自転車で走れるなんて、思いもしませんでした」プエルトリコで顧客・ステークホルダーマーケティングマネージャーを務めるOrtizは、そう語りました。

ライドの途中でつらくなると、がんと共に生きる知人の顔を思い浮かべました。大好きなご近所さんは、肺がんによる痛みに苦しんでいました。マサチューセッツ州に住むいとこは、父親や親戚の助けを借りながら6歳と13歳の子どもを育てていました。

C2C4C開催前の数週間はゆっくり休めなかったせいもあってか、走る間に何度か、心も体ももうクタクタだと感じました。本当にゴールまでたどり着けるかと、不安にもなりました。

急斜面をのぼれず苦労していると、ひとりのコーチが助けに来てくれました。「僕がゆっくり押します。きっとのぼれますよ」と声をかけてくれたのです。

彼女は、走りながら何度も声をあげて泣いたと言います。彼女が泣いたのは、困難に挑んだ自分が誇らしかったからであり、チームメートの頑張りが誇らしかったからです。

そして、ゴールで待つ両親の姿を見つけた時、彼女はまた涙を流しましたー―それは、夫が用意してくれたサプライズでした。

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オオヌマ アユは、C2C4Cに参加しチームメートと助け合えたことに感謝しています。彼女にとってこのイベントは、「患者さんのために貢献する貴重な機会」でした。

チーム一丸となってやり遂げる 

大沼有由は、長年の友人を結腸がんで失ったことをきっかけに、C2C4Cへの参加を決めました。友人は50代の若さで世を去りました。話を聞く以外できることは何もないことに、彼女はストレスを感じました。

「もう少し何かできなかったかと後悔しました。そこで、C2C4Cに参加したのです」と日本で働く大沼は語りました。

ライドが始まる前、彼女は緊張していました。トレーニングでは長い距離を完走できなかったからです。けれど、今回初めて参加した彼女は、C2C4Cでは奇跡が起こることを知りました。チームメンバーが支え合って苦難を乗り越えることで、丘を登りきるといった不可能に思える目標を、力を合わせて達成できるのです。

「途中であきらめかけましたが、声を掛け合いながらついに頂上にたどりつきました。感動しました」とは、彼女は語りました。

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米国のC2C4Cライドイベントのキックオフ。オレゴン州キャノンビーチでチームメートと写真に収まるマイケル・ドリトレン(左)

息子からスーパーヒーローと呼ばれて 

スポーツ選手だったマイケル・ドリトレンは、トップレベルで戦ってきました。米国のプロアメリカンフットボールリーグNFLの元選手として、彼は、体力の限界に挑むことに慣れていました。けれど、12歳の息子レイドは、初めてC2C4Cに参加する父親に、何か心の支えが必要ではないかと考えました。   

そこで、家族からライダーへのプレゼントの中に、赤いマントをまとった伝説のスーパーヒーローのミニチュアフィギュアをしのばせました。「パパは僕のスーパーヒーローだよって言われました」とBMSで働くドリトレンは、教えてくれました。妻のマリサとの間には、3人の娘もいます。 

彼は、小さなフィギュアをバイクのハンドルにテープで貼りましたが、20分も経たないうちにはがれてしまいました。そこでもう一度、今度は落ちないようしっかり貼り直しました。「なくしたら息子ががっかりしますから」ドリトレンは、昨年がんで亡くなった母親のためにライドに参加しました。

飛ばずに米国を横断したスーパーヒーロー 

ドリトレンは、3日間のライド中にスーパーヒーローのフィギュアの写真を息子に送りました。彼が自分のルートを走り終えても、息子はフィギュアに冒険を続けさせたいと考えました。米国のライドの終着点であるニュージャージー州まで、フィギュアに旅をしてもらいたかったのです。

「誰かに一緒に連れて行ってもらえないかな?」 レイドは、父親にたずねました。

「頼んでみたらどうだい」父親は、そう返事しました。

別の社員が喜んで引き受けてくれました。結局、米国の全てのチームがスーパーヒーローを連れてライドに参加し、はるか先のゴールであるニュージャージー州まで運びました。どのチームも、行く先々で写真を撮ってドリトレン一家に送ってくれました。

初めてC2C4Cに参加する他のライダーと同じように、このスーパーヒーローも、チームメートの力を借りて、これまでやったことのない挑戦を成し遂げたのです。さらにはその挑戦が、がん患者さんとその家族が、二度と味わいたくない苦しみを乗り越える助けになりました。

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