今できるありがたさに感謝しつつ趣味や生活を毎日精一杯楽しんでいます

佐藤孝子さん(病名:多発性骨髄腫)

2024/09/26     

人間ドックから多発性骨髄腫がわかり、それまでの活動的な生活が一変しました。しかし、佐藤孝子さんは持ち前の明るさと積極性で、病気でもできることを模索し、趣味のアマチュアオーケストラの活動を継続、仕事も有給休暇を上手に使い、大きな治療を行った際も休職せずに続けています。自分のやりたいことを続けられるよう治療との折り合いをつけながら、毎日を過ごせることに感謝をしているそうです。

桜が満開の時期に確定診断を受け
今でも桜を見ると複雑な気持ちになります。

2007年3月、勤続20年のリフレッシュ休暇を取り、山梨県小淵沢に約1週間滞在、毎日10キロ以上のウオーキングをしていたという佐藤さん。当時は、まさに健康そのものだとご自身では思っていました。

「リフレッシュ休暇の直前に人間ドックを受診したんです。その結果の中に血液検査の再検査の指示がありました。でも体調が良かったので、再検査では問題なしになるのではないかと思っていました」。

しかし、再度行った血液検査の値にも異常があり、血液内科で詳しい検査をするように指示されました。その際病名に関する詳しい説明はありませんでしたが、医師の説明内容からキーポイントになる単語を聞き、佐藤さんは自分で情報を調べ始めます。そこで、多発性骨髄腫の可能性があることを知りました。それは初めて聞いた病名でした。

「調べたことがもし当たっているならば、これは大変なことになってしまったという気持ちでした。ただ、まだ確定したわけではないので、どっちつかずの落ち着かない気分でした」。
その後、総合病院で血液検査に加え骨髄検査やレントゲン検査等を行い、4月に多発性骨髄腫の確定診断を受けました。その日はちょうど病院の隣の公園の桜が満開でした。

「それまでは手放しにただきれいだなと思って桜を見ていましたが、その時は自分だけが今までとは違う世界に行ってしまったような気持ちになりました。その年以降は、桜を見ると一年間無事に過ごせたことに感謝するのと同時に、告知時の不安も思い出し複雑な気持ちになります」。

確定診断を受けた病院で、5月から入院して自家移植(自家造血幹細胞移植を伴う大量化学療法)をすることになりました。佐藤さんはICT企業で医療情報システムに関わる業務も担当していたことから、病院によって医師や設備などに違いがあることを知っていました。そこで治療を受ける病院を自ら選ぶため、積極的にセカンドオピニオンを受けることにしました。いくつかの病院で話を聞いたのち、信頼できる現在の主治医と出会い治療を継続しています。

突然の再発にショックを受けましたが
治療の効果が出てすぐに趣味を再開

当時は治療薬も今よりずっと少なく、自家移植をするのかしないのか、そして自家移植をしても予後は50カ月程度の可能性ありとの説明を受けていました。

「そのような話を聞いてもちろん落ち込みましたが、どうせだったら少しでも長く生きたいと思いました。インターネットなどから得られる信頼できる情報も今よりずっと少なかったように思います。だからこそ、いろいろな病院を自分の足で訪ねて話を聞きに行ったのです」。

その後、2009年8月に自家移植を行いました。このころから多発性骨髄腫の治療薬も少しずつ増えてきて、治療にも選択の幅が広がってきました。自家移植後、佐藤さんの容体は落ち着き、2年ほどはほとんど症状も出ていなかったそうです。ところが2011年8月頃、腰に痛みを感じるようになります。それは日に日に増し、ある朝突然痛みで身動きができなくなり緊急入院することに。

「その年も、旅行先で自転車を借りて走り回ったりして普通に過ごしていたんです。だから自分でも多発性骨髄腫が原因だとは思っていなくて、運動不足で腰が痛いのかな、くらいに思っていました」。しかし事態は深刻で、多発性骨髄腫の再発による腰椎圧迫骨折でした。再発だと知り、佐藤さんは確定診断を受けた時よりもショックだったと言います。

「それまで普通に動けていたのが急に寝たきりになって。しかも腰椎の圧迫骨折だったので下半身に麻痺が残る可能性もあると言われ、もうこのまま動けなくなるのではないかと考えてしまいました」。

しかし、放射線治療をはじめとする治療の効果もあり、2カ月半ほどで車椅子で退院することができました。そして2012年2月には2度目の自家移植を行うため再度入院をしました。
「退院していた期間に、中国大連でのオーケストラの合同演奏会にも参加しました。行き帰りは友人たちに車椅子を押してもらって移動しました。杖を使って歩くことができる程度まで回復していたので、演奏で困ることはありませんでした」。

普段から多趣味で日常生活を楽しんでいる佐藤さん。多少体調が万全ではなくても、すぐに諦めるのではなく、どうすれば楽しめるかを模索するようにしています。「車椅子ならば、場合により人より早く移動できますからね」と笑います。でも、その積極性の裏には「今、行っておかなければ次は難しいかも」という気持ちもあったそうです。

やりたいことを続けられるように
常に次の作戦を考えています

その後は維持療法を続けています。10年ほど落ち着いた状態が続いていましたが、2022年頃から検査結果の数値が悪くなりはじめ、2023年の後半から薬が追加になりました。薬の副作用で、貧血、味覚障害、手や足のつりやムーンフェイスなどに加え、眠れなかったり、精神的にハイになったり、突然眠くなるといった症状に悩まされています。それでも仕事は変わらず続けています。

「上司や共に業務を担当する同僚には、病気のことを伝えるとともに治療に即したお願いしたい配慮も伝えてあります。会社の理解もあり、自家移植や腰椎圧迫骨折による入院の際も有給休暇等を活用し、休職したことはありません。2度目の自家移植の際は在宅勤務が可能になっていたため、退院後1週間程度で業務を再開することができました。ただ、どうしても先の予定が立てにくいので、複数人で業務を担当したり、引継ぎができるよう準備したりするなど工夫して業務を進めるよう心がけています」。

趣味の楽器演奏は発病後も中断せずに続けています。
「フルートは息が続かないと演奏が困難ですし、演奏中に手がつってしまうと指がうまく動かなくなります。体調は日によって違うので対応がなかなか難しいですね。フルートの先生とも相談して、無理な力を入れずに吹けるようにするなど演奏方法を模索しています。
発病後、10年ほど前からは、フルートに加えヴィオラでもオーケストラに参加しています。薬の影響による演奏のしづらさがフルートとは少し違うため工夫しながら弾いていますが、それにより演奏の機会も増えました」。

病気や仕事で行き詰まっている時でも、オーケストラで演奏していると、それに集中して気持ちが切り替えられるといいます。悩みがなくなるわけではありませんが「なんとかなるさ」と思えるそうです。

「体調や治療の都合で、できないこともいろいろあります。しかし、できないことは仕方がない、できることに感謝しながら楽しんでいきたいと思っています」。

佐藤さんは、楽器演奏を続けるために、使用する薬や投与のタイミングなどに関し、主治医と相談しながら治療を進めているそうです。

最後に同じ病気を乗り越えようと思っている方々にメッセージをいただきました。
「同じ病気であっても、症状や治療法は一人一人異なります。症状や副作用、特にしびれや末梢神経障害などは、自分が積極的に伝えないと伝わらないことが多いように思います。
そのためには、記録して主治医や周囲の人に伝えていく工夫なども必要だと感じます。

また、大切に思っていることもそれぞれ異なりますから、自分がやりたいこと、大切にしたいことの優先順位を考え、周りに伝えていくのも大事だと思っています」。