辛い治療の先には何でもないことが幸せだと感じられる日常が待っていました

後藤千英さん(病名:骨髄異形成症候群)

2024/09/26     

バスケットボールが大好きな高校2年生を突然襲ったのは、今まで聞いたこともなかった骨髄異形成症候群(MDS)という疾患でした。後藤千英さんは、発病後は長く小康状態が続き12年ほど経過観察を続けていましたが、29歳で病状が悪化。その後は治療を続けつつ、仕事やNPO活動なども積極的に行っています。闘病を続けつつ前向きに活動的に過ごされている後藤さんのお気持ちを伺いました。

前触れもなく名前も知らなかった
骨髄異形成症候群を発症

バスケットボールの強豪校に入学し、仲間とインターハイを目指していた高校2年生のときに、後藤さんの体に突然異変が起きました。ただその症状は手の甲が腫れるというものだったので、特に痛みもありません。最初は「バスケットボールで、気がつかないうちに怪我でもしたのかな」と思ったそうです。腫れの原因を突き止めるため、後藤さんはお母様と一緒に整形外科を受診し、そこで「念のため」と血液検査を受けました。しかし、「念のため」だったはずの血液検査の結果は驚くべきものだったのです。
「整形外科から電話があり、すぐ病院へ行きました。そこの先生が血液検査の結果を見て、異常があるということに気が付き、すぐに血液内科がある病院に行くように伝えられたんです。自分でも気がつかないうちに病気になっていたのかなと、そこで初めて意識をしました」。

すぐに総合病院へと赴き、さらに詳しい血液検査を受けたところ、やはり異常値が出たそうです。大きな病院だったため、その日のうちに骨髄検査を行うことになりました。

「一週間後、母と一緒に結果を聞きに行きました。そこで骨髄異形成症候群(MDS)の確定診断を受けたのですが、当時は名前も聞いたことがありませんでした。説明を受けて血液がんの一種であることはわかりましたが、手の腫れ以外に自覚症状もまったくなかったので、実感がなく恐怖心もわきませんでした」。
当時はインターネットが発達しておらず、後藤さんは家に置いてあった病気の事典で調べてみることにしました。その本から当時は薬がほぼない状態で、重篤な病気にも関わらず経過観察をするしかないことを知ったのです。
「深刻な病気なのに、有効な治療方法がないなんて信じられない気持ちでした」。
当時、診てもらっていた医師は後藤さんが若い年齢で発病したことから、急激な病状悪化を心配していたそうです。間近に迫っていた修学旅行への参加さえ危ぶんでいました。しかし幸いなことに後藤さんの病状は小康状態を保ち、貧血の症状を感じつつも経過観察をしながら、その後12年間は穏やかな日常生活を送ることができました。

とうとう体調が悪化し始めて
辛い治療を受け入れる決断をしました

発病後は毎日のように行っていた病院ですが、体調が安定していたことから血液検査も1週間に1回から3週間に1回になり、やがて月1回になっていました。MDSの中でも、そこまで安定した状態が続く人はあまり多くはないようです。
しかし29歳になり、後藤さんは体調に異変を感じるようになりました。それまでは、経過観察をしながらの生活でしたが、その合間にスポーツクラブへ行き、走ったりダンスをしたりと日常をアクティブに楽しんでいました。しかし、その頃から何をやってもどんどんパフォーマンスが落ちていくのを実感し始めたそうです。最初は年齢的なものかとも思ったそうですが、寝ても疲労が回復せずに辛いと感じるようになりました。やがて、激しい運動ではなく、会社でコピーを取るといったような数秒間立っている動作にも疲労感を感じるようになり始めました。そうなると「体が何かおかしい」だけではなく、情緒も不安定になってきてしまったそうです。

今までに感じたことのない不調からMDSの悪化を疑いだした後藤さんは病院へ行き、血液検査を受けることにしました。悪い予感は的中し、医師からは「今日は輸血をしよう」と提案を受ける状態になっていました。しかし、その提案を後藤さんはすぐには受け入れられませんでした。
「実は具合が悪くなっていたことを2人の兄弟には伝えていたのですが、両親には話していなかったんです。そんな状態で、輸血という私が想像していた以上に重い治療を勝手にしてもいいのかと悩んでしまって。その日もそうですし、病院へ行くたびに輸血の話をされるのですが、しばらく断り続けていました。すると先生が『人は貧血が続くと心臓に負担がかかって死ぬこともあるんですよ』と説明をしてくださり。貧血がそんなに重大なことだとは知らなかったんです」。
それ以来、輸血を受けるようになり、一時的には見違えるように元気になりました。後藤さんは元気な間に働き、動けなくなれば輸血をするというサイクルで日常生活を乗り切ろうと考えていたそう。ところが、輸血をしなければならない間隔もどんどん短くなり、さらには「この方法で動けるのも2~3年だけ」と医師から告げられます。そして、実際に輸血をするサイクルもどんどん短くなっていきました。
「体調が少しでも悪いと、湯船から立ち上がれないなど、今までできていたことができなってしまい、怖かったですし、気持ちも下向きになっていました。骨髄移植しか方法がないのはわかっていましたが、移植後の苦しみに耐えられるか自信がありませんでした。たまたま骨髄移植をするドキュメンタリー番組を見てしまい、怖くて自分には乗り越えられないのではないかと悩み、心が閉じていました」。

その頃には、両親にも治療をしていることが伝わり、悩んでいる後藤さんをお父様が励ましてくれたそうです。
「経営者の父は、何事も自分で決断します。父は『いろいろなことを決断してきたけれども、1回も間違ったことはない。絶対に千英も大丈夫だから自分の決断に自信を持て』と背中を押してくれて。そこはもう自分で決めるしかないなと思いました」。

骨髄移植後の元気な姿を見せることが
同じ病気を持つ人の励みになればと願っています

後藤さんは骨髄移植を決意し、改めて移植をする病院を探し、信頼できる主治医と出会います。
「明日から無菌室に入るという前の晩、主治医の先生と一緒に無菌室を見に行ったんです。私は怖がりなので、その段階になっても怖くて涙が止まりませんと話したら『僕たちには自信と経験があるから絶対大丈夫。絶対に治って帰ってもらうよ』と先生が言ってくれて、もう頑張るしかないなと思いました」。
移植後は、抗がん剤の副作用もあり吐き気や脱毛、皮膚の黒ずみなどさまざまな症状に悩まされ、あまりの辛さに眠ることもできないほどでした。何もできず、ただ時計の秒針を見つめて時間が過ぎるのを待つしかできなかったそうです。しかし、ドナーから移植された骨髄が定着し始める21日を過ぎるころから薄皮をはぐように少しずつ体調が上向きになってきました。

「入院は4カ月ほど続きましたが、それ以降は問題なく日常生活が送れるようになりました。もちろん血液検査は定期的にしなければなりませんし、がんマーカーが怪しい動きをすることもありますが、移植から12年経ってゴルフも楽しめるようになりました」。
以前は人前に出ることが苦手だった後藤さんですが、移植後は「あの辛さを乗り越えられたのだから」と積極的に講演活動やNPOの運営にも携わっています。
「私が元気で長生きすることが、同じ病気の人の励みや希望になると思うんです。日常生活が送れることは当たり前ではなく幸せなことなのだということを忘れずに、これからも過ごしていきたいですね」。