発病後は毎日のように行っていた病院ですが、体調が安定していたことから血液検査も1週間に1回から3週間に1回になり、やがて月1回になっていました。MDSの中でも、そこまで安定した状態が続く人はあまり多くはないようです。
しかし29歳になり、後藤さんは体調に異変を感じるようになりました。それまでは、経過観察をしながらの生活でしたが、その合間にスポーツクラブへ行き、走ったりダンスをしたりと日常をアクティブに楽しんでいました。しかし、その頃から何をやってもどんどんパフォーマンスが落ちていくのを実感し始めたそうです。最初は年齢的なものかとも思ったそうですが、寝ても疲労が回復せずに辛いと感じるようになりました。やがて、激しい運動ではなく、会社でコピーを取るといったような数秒間立っている動作にも疲労感を感じるようになり始めました。そうなると「体が何かおかしい」だけではなく、情緒も不安定になってきてしまったそうです。
今までに感じたことのない不調からMDSの悪化を疑いだした後藤さんは病院へ行き、血液検査を受けることにしました。悪い予感は的中し、医師からは「今日は輸血をしよう」と提案を受ける状態になっていました。しかし、その提案を後藤さんはすぐには受け入れられませんでした。
「実は具合が悪くなっていたことを2人の兄弟には伝えていたのですが、両親には話していなかったんです。そんな状態で、輸血という私が想像していた以上に重い治療を勝手にしてもいいのかと悩んでしまって。その日もそうですし、病院へ行くたびに輸血の話をされるのですが、しばらく断り続けていました。すると先生が『人は貧血が続くと心臓に負担がかかって死ぬこともあるんですよ』と説明をしてくださり。貧血がそんなに重大なことだとは知らなかったんです」。
それ以来、輸血を受けるようになり、一時的には見違えるように元気になりました。後藤さんは元気な間に働き、動けなくなれば輸血をするというサイクルで日常生活を乗り切ろうと考えていたそう。ところが、輸血をしなければならない間隔もどんどん短くなり、さらには「この方法で動けるのも2~3年だけ」と医師から告げられます。そして、実際に輸血をするサイクルもどんどん短くなっていきました。
「体調が少しでも悪いと、湯船から立ち上がれないなど、今までできていたことができなってしまい、怖かったですし、気持ちも下向きになっていました。骨髄移植しか方法がないのはわかっていましたが、移植後の苦しみに耐えられるか自信がありませんでした。たまたま骨髄移植をするドキュメンタリー番組を見てしまい、怖くて自分には乗り越えられないのではないかと悩み、心が閉じていました」。
その頃には、両親にも治療をしていることが伝わり、悩んでいる後藤さんをお父様が励ましてくれたそうです。
「経営者の父は、何事も自分で決断します。父は『いろいろなことを決断してきたけれども、1回も間違ったことはない。絶対に千英も大丈夫だから自分の決断に自信を持て』と背中を押してくれて。そこはもう自分で決めるしかないなと思いました」。